手を離したボールは地面に落ちる。雨も、木から離れた葉っぱも落ちる。それなのに、夜空の月は何日たっても地球に落ちてきません。月だけ、地球の重力が届かない場所にいるのでしょうか。
実は月にも地球の重力が働いていて、月は地球へ向かって落ち続けています。それでも衝突しないのは、月が横向きにも速く進んでいるからです。
「落ちているのに落ちてこない」という言葉遊びのように聞こえる答えには、軌道の本質が詰まっています。地面で投げるボールから出発して、月、人工衛星、そして地球と月のこれからまで見てみましょう。
「重力がある」と「地面にぶつかる」は同じではない
重力は物体の運動を変えます。しかし、重力が働いている物体が、必ず真っすぐ地球の中心へ進むわけではありません。その物体が、もともとどちらへどのくらいの速さで動いているかも重要です。
高さのある場所からボールを静かに手放せば、ほぼ真下へ落ちます。同じ場所から横へ投げれば、横へ進みながら下へ曲がっていきます。ボールは下向きの重力を受けても、横向きの運動をその瞬間に失うわけではないからです。
この二つを区別すると、月の話が見えやすくなります。「地球へ向かう加速度がある」と「地球へ一直線に進んでいる」は別です。加速度とは速さの増減だけでなく、運動の向きが変わることも含みます。

ものすごく速く、横へ投げたらどうなる?
空気抵抗も山も建物もない、理想的な地球を想像してください。高い場所からボールを横へ投げると、速く投げるほど遠くまで届きます。さらに速くすれば、ボールが下へ曲がっていく間に、丸い地球の表面も下へ曲がって遠ざかっていきます。
ボールが落ちていく曲がり方と、地球を回り込むための曲がり方が合えば、いつまでたっても地面にぶつかりません。これが地球を回る軌道です。現実に地上で超高速の球を投げるという提案ではなく、空気抵抗などを取り除いて考える思考実験です。
月はこの「地球へ向かって落ちつつ、地球を回り込む」運動をしています。NASAも、軌道にある物体を自由落下の例として説明しています。自由落下とは、重力の作用で動く状態であり、真下へ落ちる場合だけを指す言葉ではありません。自由落下と軌道:NASA Glenn Research Center
月は、どのくらいの速さで動いているのか
NASAの月のデータでは、月と地球の距離の目安になる軌道の長半径は約384,400キロメートル、平均の公転速度は毎秒約1.022キロメートルです。時速にすると約3,680キロメートルになります。
地球から見た月は、じっと浮かんでいるように見えます。しかし実際には、1秒ごとに約1キロメートル進んでいます。距離がとても遠いので、その大きな移動が空の上ではゆっくりした位置の変化に見えるのです。距離・速度・周期の数値:NASA Moon Fact Sheet
月の軌道は完全な円ではなく、少しつぶれた楕円です。そのため地球との距離も速度も一定ではありません。近い側では速く、遠い側では遅くなります。「地球へ落ち続ける」という基本的な考えは、この楕円軌道でも同じです。

月が一周する時間と、満月までの時間は違う
月が遠くの星を基準に地球を一周する時間は、約27.3日です。一方、満月から次の満月までは約29.5日あります。一周したなら元の満月に戻りそうですが、この二つは基準が違います。
月が地球を回っている間に、地球も太陽の周りを進んでいます。そのため月が星を基準に一周しても、太陽・地球・月の並び方は前の満月と同じには戻りません。月がもう少し進んで、太陽との位置関係を取り戻す必要があります。
また、月は自転もしています。自転と公転の周期がほぼ同じなので、地球からはおおむね同じ面が見えます。「同じ面が見えるから月は回転していない」というわけではありません。月の見え方には、公転、自転、太陽の光の当たり方という別々の要素が関わっているのです。月の自転・公転と見え方:NASA
月の場所にも、ちゃんと重力が届いている
地球の重力による加速度は、地球の中心から遠ざかるほど小さくなります。地球をほぼ球対称とみなすと、距離が2倍なら約4分の1、3倍なら約9分の1になります。
月の距離は地球の半径のおよそ60倍です。そこでの地球の重力による加速度を概算すると、地表のおよそ3,600分の1、毎秒毎秒約0.0027メートルになります。弱くはなっていますが、ゼロではありません。
もう一つの方法でも確認できます。円運動で必要な中心向きの加速度は「速度の2乗÷半径」です。月の速度を毎秒約1,020メートル、距離を約3億8,440万メートルとして計算すると、毎秒毎秒約0.0027メートルになります。
地球の重力から計算した値と、月の曲がった軌道から計算した値がほぼ合う。この一致は、「月の運動と地上の落下を同じ重力で説明する」という考えの手応えを与えてくれます。ここでは地球だけの重力と円軌道で近似しており、精密な月の軌道計算には太陽などの影響も必要です。
「引力と遠心力が釣り合う」ではだめなの?
月が落ちない説明として、「地球の引力と遠心力が釣り合っている」と聞いたことがあるかもしれません。回転する座標系から見る説明として使えますが、何を基準に見ているかを省くと混乱のもとになります。
まず、回転していない座標系で考えましょう。月には地球のほうへ向く重力が働き、その力によって運動の向きが曲がります。地球から月を外側へ押し出す、別の実在する力を加える必要はありません。
一方、月と一緒に回転する座標系では、月を止まっているものとして扱えます。この座標系で運動方程式を書くときには、遠心力という慣性力を導入します。円軌道に近似する場合には、重力との釣り合いとして記述できるわけです。
両方とも、前提をそろえれば同じ運動を説明できます。ただ、最初に仕組みを理解するなら、「月は横へ進み、重力がその進行方向を曲げている」と考えるほうが、ボールや人工衛星にもつなげやすいでしょう。
もし月の横向きの動きが止まったら?
地球と月だけを考え、ある瞬間に月の地球に対する横向きの運動をなくす、という架空の状況を想像します。その場合、現在のように地球を回り込めなくなり、地球との距離を縮める方向へ落下していきます。
逆に、軌道上の速度が変われば、軌道の形も変わります。少し速くしたら、いつでもその場から宇宙の果てへ飛んでいく、というわけではありません。より大きな楕円軌道になる場合もあり、十分なエネルギーを得れば地球から離れる軌道になります。
また、いま重力だけが突然なくなったと仮定すれば、月はその瞬間の進行方向へほぼ直線的に進みます。すぐに止まるのでも、地球の反対方向へ真っすぐ飛ぶのでもありません。これも、重力が月の向きを曲げ続けていることを理解するための思考実験です。

エンジンがないのに、なぜ動き続けられる?
地上では、自転車をこぐのをやめれば止まります。そのため「動き続けるには、進行方向へ押す力をずっと加えなければならない」と感じがちです。
しかし自転車を止めるのは、空気抵抗や地面との摩擦です。そうした抵抗がなければ、物体はそのまま動き続けます。これが慣性です。月の公転を保つために、月が毎秒燃料を燃やす必要はありません。
月の周囲には、地上のように運動を大きく妨げる濃い空気がありません。重力は月を引きますが、理想的な円軌道では重力の向きは進行方向に対して直角で、速さよりも向きを変える役割を果たします。楕円軌道なら、速くなる区間と遅くなる区間があります。
現実の軌道は、永久に一切変わらない理想の円運動ではありません。抵抗が小さいことと、天体同士の相互作用がないことは別です。その代表が、地球と月の間で働く潮汐の影響です。
実は月は、現在、少しずつ地球から離れている
月は今、地球に近づいて落ち込みつつあるのではなく、平均すると年に約3.8センチメートルずつ遠ざかっています。月面などの反射器にレーザーを送り、往復時間から距離を測る長年の観測で、その変化が分かっています。地球と月のレーザー測距:NASA
理由は地球と月の間の潮汐相互作用です。月の重力は地球の海や固体部分を変形させます。地球の自転は月の公転より速いため、地球側の変形と月の間の重力のやり取りを通じて、地球の自転の角運動量の一部が月の公転へ移ります。
その結果、地球の自転は長期的には遅くなる方向へ、月の軌道は大きくなる方向へ変化します。エネルギーの一部は熱にも変わります。「何もない宇宙だから月の運動は完全に不変」とは言えないのです。
ただし年3.8センチメートルという現在の値を、そのまま何十億年にも延ばして過去や未来を計算することはできません。大陸の配置や海の形、地球と月の距離などが変われば、潮汐の効き方も変わるからです。

人工衛星や宇宙飛行士も、同じように落ちている
地球を回る宇宙ステーションでも、重力が消えているわけではありません。ステーションも、その中の人も、周囲の物も、一緒に地球へ向かって自由落下しています。床だけが人を支える状況ではなくなるため、人はふわふわ浮いた状態になります。
つまり「無重力に見える」と「重力が働いていない」は違います。月と宇宙ステーションは高さも速度も違いますが、重力で進行方向が曲げられて軌道を回るという点では共通しています。
地球に比較的近い人工衛星は、ごく薄い大気による抵抗を受けることがあります。速度や軌道が変わり、落下につながる場合もあります。月と同じ基本原理で回っていても、周囲の環境が違えば長期的な運命は同じにはなりません。
夜空の月を見るとき、思い出したいこと
月は、重力から逃れて宙に固定されているのではありません。速く横へ進みながら、地球の重力によって軌道を曲げられています。落下と公転は、まったく別の現象ではなく、同じ運動の見方を変えたものです。
次に月を見上げたら、「あの月は、いまも1秒に約1キロメートル進んでいる」と想像してみてください。静かな夜空の景色が、巨大な運動の途中の一場面に見えてくるはずです。
この疑問を、本でもう少し掘り下げるなら
月が落ちない理由が分かると、今度は「満ち欠けはどう起きる?」「表面の模様は何?」と、実際に見える月にも疑問が広がります。
月のきほん
『月のきほん』は、満ち欠けや表面の模様など、月についての素朴な疑問を扱う入門書です。軌道の計算を専門的に学ぶ本というより、月の基本を広く知って、夜空を眺める楽しみにつなげたい人の候補になります。
白尾元理/誠文堂新光社。出版社の案内で内容・目次を確認する



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